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幸せに生きるために、捨てるべきこと10選

幸せ

ミニマリスト(最小限主義者)は巷では「モノを極力減らす人」くらいにしか思われていませんが、私の定義はちょっと違います。

それは人生における「選択と集中」を実践する人です。個々人にとって大切なコトだけに人生を集中すること、これこそがミニマリスト的な生き方だと思っています。なぜそうするのかと言えば、幸せになりたいからです。「モノを減らす」という発想も、本来それを考えた結果として生まれるべきです。

大切なコトだけに集中するということは、当然それ以外のどうでもいいことは捨て去ることになります。もちろん「大切なコト」や「捨てるコト」は人によって違うわけです。今日は、幸せになるために「私」が捨てると決めたことを紹介します。きっと多くの人にも当てはまるでしょう。主に私がこだわっていたもので、今はどうでもよくなったものです。

大学名や大学での成績

これは私が物心ついてから最もこだわっていたことかもしれません。特にGPA(成績)で如何に満点近くを維持するかにめちゃめちゃこだわっていました。

社会にでればわかるのですが、大学名も成績も(極論大学に行くことさえも)この世の中で生きていくためには大して意味がありません。

東大卒でもクソみたいなやつもいれば、高卒のスゴ腕経営者などもいたりします。

結局は、そういう「見た目」にこだわる暇があったら、「何ができるか、創れるか」を追求する方が大切です。

会社名

就活生の多くがうらやむ一流企業に私は新卒で入社しました。そしてそれにプライドを持っていました。

でもそこから離れた時に気づいたんですね。スゴイのはその会社であって、そこにいない自分は何者でもないと。

大学と同じですが、「どこに属しているか」は大して重要ではありません。そして属するところがすごければすごいほど、自分はすごいと勘違いしてしまうものです。

それよりもやはり「何ができるか、創れるか」の方が大切ですよね。

ブランド

私はどうも「見た目」の部分にこだわる傾向が強かったようです。自分がどのようなブランドを身にまとっていたかにも相当こだわっていました。こだわったものって飽きるのも早いんですかね、いつの間にかブランド熱も冷めました。

フェラーリとかポルシェに乗ってるのカッコ悪くて。時代に合ってないでしょ。先日、街中でフェラーリが走ってるの見て、超ダセえ、今こっちいったら負けだなと思って。

ー高城剛ー

全く同じような考えを個人的には持っています。

モノ

ブランドものの次は、一般的なモノ全般に興味がなくなりました。

モノなんか大して持たなくても幸せに生きられることに気づいてしまったからですね。むしろモノに溢れていた過去の自分は、それだけで疲れてしまっていたなと。

モノがない=身軽なわけですが、これほど幸せなことはありません。世間一般に知られているミニマリストは、主にこの部分に位置します。

肩書き

ベンチャーブームも相まって、大して社員もいないのに自分をCEOやCFOと名乗ったり、というケースが増えています。そういうタイトルを付けるとなんだかスゴそうですが、ホントにスゴイのはそういうタイトルを持つことではなく、世界にインパクトを与えることです。

こちらも上記項目と一緒で「見た目」よりも「何をしたか、創ったか」ですよね。

CXO、執行役員、部長、課長。。無数の肩書きが世の中にはありますが、個人的には何でもいいですねもはや。そういう時代じゃなくなってくる気がします。

見栄やプライド

これは上記の項目を捨てていくと自ずと無くなっていきますが、人生における無駄な要素の1つです。

本当に「スゴイ」人って世の中にあまりいないのですが、みんなスゴイと勘違いしていると。

そして1度ものすごい賢人みたいな方に出会ったことがあるのですがそういう人に限って腰が低いです。だから凡人は中途半端な見栄やプライドを持ってもしょうがないです。

プライドと自信は違いますから、自信はいくら持っててもいいと思います。

キャリア

語弊があるかもしれませんが、私は「キャリア」を捨てました。これは上記の大学、一流企業、にも関係する話です。

誰しも「キャリアプラン」みたいなものを持っていることでしょう。大学をいい成績で卒業して、一流企業に入りそこで出世をして。。。などと。非常に慎重に安定的なキャリアを築いている人もよく目にします。ピカピカの履歴書とかね。ほとんどの人が仕事を基準に人生を設計しているように見えます。

私は仕事を基準に自分の人生を考えるのをやめ、「どうやったら幸せになれるか」を考えるようになりました。キレイな履歴書とかどうでもいいので、できるだけ好きなことを追求したいと思いました。「キャリア」はあまり深く考えてもしょうがないです。

今の自分は、来年の今頃何をしているかさえ想像がつきません。逆に想像がついちゃう場合は、それだけつまらない人生かもしれませんので、それは良しとしています。

極端な話「いかに働かないか」すら考えています。

過去の栄光

これは結構多くの人がやるのですが、「過去の栄光」にすがっても、今輝いていなければ何の意味もありません。

私もやたら過去の経歴とか自慢していた時期があったのですが、マジで意味ないですね。若いうちならまだしも、これを40代、50代でやっていたら結構痛いです。

もちろんその人が今もスゴかったらいいんですけど、大抵過去の栄光自慢をしてくる人は今はイケてないです。

「能ある鷹は爪を隠す」ではないけど、何も語らないくらいがちょうどいいんじゃないかと思っています。

周りの目

私は生まれてこの方、周りにどう思われるかを気にして生きてきたような気がします。特に嫌われないように、嫌われないようにと、自分を押し殺していました。

しかし、人生は一回しかありませんし、明日突然終わっているかもしれません。

そんな当たり前の事実に気づいた時、周りの目とかどうでもよくなってしまったんですね。

自分に正直に生きようと。

例えばサラリーマンの皆さん、周りの目を気にして残業我慢大会なんかしてるうちに、人生終わってしまいますよ。

常識

私は正直、常識や慣習という言葉が大嫌いです。これらは今私が生きている社会という「文脈」の中では絶対的なもの、なわけですが、そもそもその文脈自体が間違っている場合の方が多いと思っています。

今の社会には、普通に考えたら意味がわからないことが多すぎます。例えばパッと思いつく例がハンコ。欧米のようにサインする方が絶対的に効率的かつ効用も変わらないのに、未だにこの慣習が残っている意味がわかりません。

「無駄こそ文化」という主張があるのを理解した上で、何もかも「常識」とか「そうなっているから」とかで済まされるのは納得できないですね。

「常識」に固執していると、時代や世界の変化に追いつけませんから、みんな一刻も早く捨て去るべきだと思っています。

常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである

ーアルバート・アインシュタインー

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