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ミニマリスト=「モノを減らすこと」ではない

ミニマリスト

「ミニマリスト」という言葉を聞く頻度が最近増えてきた気がする。ミニマリストは日本語で「最小限主義者」のように訳されるのだが、ざっくり言うと「何事も最小限であること」に美を見出す人たちのことだ。

ミニマリストの私としては、それがより多くの人に共感され、実践されているのはとても嬉しいことであるが、一方でその言葉だけが一人歩きして誤解が生まれている感覚もある。

私自身はミニマリストという言葉を5年くらい前から使っていて、日本のネット上においては、恐らく割と初期のミニマリスト論者ということになる。故に「ミニマリストとは何か?」「それはどういう生き方なのか?」などについては結構長いこと考えてきた。

未だにこれという解は得ていないが(そもそも正解がないので)、自分なりに腹落ちしている定義というのは存在する。

まず少なくとも言えるのは、ミニマリストは単に「モノを減らすこと」を超えた話であるということ。よくネット上を中心に、「モノを減らしてミニマリスト」的な話を見かけるけど、それなら単純に「断捨離」と呼べばいい。もちろん「モノを減らすこと」が一番分かりやすいのだけれど、最近のミニマリズムはこれに重点が置かれすぎている。

私個人的にミニマリストを定義するならば、「人生を取り巻くあらゆることにNoと言う」ことになる。言い換えると、「人生における選択と集中を徹底する」ということだ。

その最たるものが「モノを減らす」というだけの話であって、「選択と集中」というのは他のどの分野にも当てはめることができる。

例えば一番身近な例だとアップルの各製品。その他の電化製品と異なり余計な機能や部品は極力削いだシンプルなデザインになっているけど、これぞミニマリスト。

私が日々感じているもので例をあげると「名刺って必要?」という話。交換してもお決まりの社交辞令メールを送るか、そもそもメールすら送らず束になって埋もれるケースが多い。もはやFacebook交換するだけでいいよねと。つまりミニマリズムは、物理的なモノだけでなくムダな慣習も「取捨選択」することとも言える。個々人の「モノを減らす」と違って、こういった大衆の「慣習」の変化は遅いのだけれど…

ミニマリストは「選択と集中」を追求する点では頑固でなくてはいけないが、同時に変化に柔軟である必要がある。例えば上記の名刺の件、「名刺やめてFacebookでいいよね」というのが今現在の主張になるかもしれないが、10年後は「Facebook古いよね」となっている可能性もある。常に時代背景に合わせた「選択と集中」が必要になってくる。

以上が現状の自分なりの ミニマリスト論になるけれど、これには必ずこういった類の反論がある。「この人は無機質で悲しい人間だ。」などと。

しかし、今流行のAI的なものが人間の知性を越え我々の仕事を奪ったりしていくと言われている中、日常のありとあらゆるものが超効率化していくことになるのは間違いない。例えばイーロン・マスクは、「20年以内に車は全部自動化され、車を所有するのは馬を持つような感覚になる」と言っている。

趣味で馬に乗るように車に乗る人は残り続けるが、車全体で見るとやっぱりミニマリスト的方向性に向かっている。テクノロジーの発達が自ずと生活に「選択と集中」をもたらすことになる。そんな時、私たちはより人間的なものや、本当に大切なコトに集中できるようになるのではないだろうか。

私たちはみんな、幸せになりたいと思って生きている。そしてその幸せの尺度は人それぞれだ。もちろん大量にモノを所有することに幸せを感じる人はいっぱいいるだろう。私は個人的にミニマリスト的な生き方が自分に合うからやっているだけで、人それぞれのライフスタイルで幸せを追求すればいいと思う。ただ、上記の車のように大きな時代の流れに逆らうことは難しく、個々人のライフスタイルもそれに合わせて大きく変化していくのだろう。

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